多楠の日記@はてな

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「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」観に行ってきた。

地元で公開が始まったんで、初日のレイトショーで観賞。観客は俺も含め8人。
まぁ趣味性の強いドキュメント映画なんてこんなもんか。

94年のサンマリノGP。「天才」アイルトン・セナがタンブレロのコーナーを誰よりも速く駆け抜け、
そのまま消えたあの日から、もう16年半になる。
つまり今の未成年者はまぁまず生前のセナをリアルタイムで記憶してないわけで。
観客がどう見てもOver35の男ばっかなのも当然かね。
あの頃「セナ様…(はぁと)」って騒いでた皆さんお元気ですか。

80年代後半、セナが渡欧してから、1994年5月1日までのドキュメント。
カート時代の映像は以前何かの特番で観た記憶がある。
オフショットやプライベートショットはセナ財団が製作に協力してるからこそだなぁ。
F1のレース映像も、デビュー年にトールマンで挑んだ雨のモナコGPから、
ロータスマクラーレン・ウィリアムズと時系列を追って懐かしい映像が次々と。
鈴鹿の映像には当時のフジテレビの中継映像やピットリポートが音声入りで使われてて懐かしいことしきり。
「このレースすごかった」「あの走りは神がかりだった」と、次々と当時の記憶が蘇ってきた。
88年の鈴鹿と91年のブラジル、92年のモナコは強烈に覚えてる。
とにかく「ありえない勝ち方をする」ドライバーだった。

もうひとつ、当時のブラジル国内でのセナ人気についても触れられてた。
国民全体が貧困にあえぐ中、ブラジル国旗を背負ってヨーロッパで疾走する、文字通りの「英雄」。
日本で言うと「外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒す力道山」かなぁ感覚的に。

バレストル会長(当時)やプロストとの確執については、当然というかセナ寄りの視点から。
まぁこのへんは仕方ない。しかしドライバーズミーティングの映像とか見ると、当時の
疎まれ具合が垣間見られて「あーやっぱ速さだけでのし上がるのには限界があるよなぁ」と思った。
俺は当時プロストのファンだったんで、セナの評価は「アスリートとしての速さはあるけど、
ビジネス的な柔軟さには欠ける」という感じだった。
国内での順位付けは、あの二人の対決が「セナ・プロ対決」と煽られてたあたりで既に着いてたと思うけど。
絶対「プロ・セナ」にはならなかったもんなぁ。


92年以降、リアクティブサスとTCSでサーキットを席巻するウィリアムズ。
機械工学的な技術と性能の差に、ドライバーの技術では太刀打ちできなくなっていく中で、
それでも随所でマシンの限界を超えたパフォーマンスを見せるセナ。
ようやくウィリアムズのシートに座ったとき、待っていたのは「リアクティブサス禁止」のルール改正。
安定性を欠いたウィリアムズのマシンで、ポールポジションを取りながらリタイア続きのまま、第3戦・サンマリノGP。
フリー走行でのバリチェロのクラッシュ、土曜の予選でのラッツェンバーガーの事故。そして本選。

当時のフジ中継で流れた、セナ死亡の速報映像がそのまま使われてた。
字幕なしだったから日本版のみ挿入なのかわからないけど。
三宅・今宮・川井の3氏が絶句、嗚咽する場面は、今も強烈に覚えてる。つかこっちも泣く。

最後は生前のインタビュー映像。カート時代の、純粋に速く走ることだけを追い求めた頃を懐かしむもの。
F1界の「政治」に翻弄された天才、という側面が強く出ていたと思う。

あの当時、深夜のTVに齧りついていた人は、セナの好き嫌いに関わらず、観に行って損しないと思う。