多楠の日記@はてな

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Departure

日曜のスターレーン、行く勇気がありませんでした。
たぶん会場の(特に試合開始前の)雰囲気には、精神的に耐えられなかったと思うんで…。
夜になって、Webで会場の写真を見るだけでも、平静ではいられませんでした。
そして「うるぐす」の緊急追悼企画…TVの前で泣きました。

今日の帰り、コンビニでスポーツ新聞を買いました。九スポに報知、ニッカンの3紙。
うちの地方だと、日曜の売店売り分には訃報が間に合ってなかったので…。
流石に朝買う気分にはなれなかったんですが、おかげでスポニチ西スポ売り切れてた…(サンスポは地元での取扱なし)。

テレビや新聞、Web等の報道を見ていたら、だんだん気持ちが「追いついて」きました。
本当に、三沢光晴はもういないんだな…と。
人気でも実力でもトップクラスのプロスポーツ選手が、試合中に命を落とす。
そんな風にあまりに速く駆け抜けられてしまって、心が現実に追いついていなかったというか。
いつも見ていた側としては「まだどこかにいるんじゃないの?」と錯覚してしまう…あるいは、錯覚したいのかな。
感覚としては、1994年5月1日深夜…イモラからの中継をただ呆然と観ているしかなかった、あの時に似ています。

全日からの離脱が2000年6月。
プロレスリング・ノア10年目への船出に、三沢光晴がいないなんて…想像することも出来ませんでした。
ノアだけじゃない。プロレス界から三沢光晴がいなくなった。この、決して埋める事の出来ない喪失感…。

それでも、箱舟のクルー達は航海を続ける道を選びました。
かつてない荒波の中を進まなくてはならない希望の船を、これからも応援し続けたいと思います。
いちファンである俺に出来るのは、そのくらいしかありませんから。

都内で予定されるお別れ会は…なんとか行けないかと思ってます。
かなり強行軍になりますが…。
おそらく合同で行われるであろう追悼興行も。

そして、仲田龍統括部長。
願わくばせめてその時だけは…川田利明を、リングに呼んでください。

最後に。

三沢光晴選手。
貴方のおかげで、貴方が遺してくれたNOAHという団体のおかげで、
俺は今でもプロレスに絶望することなく、ファンでいることが出来てます。
そしてこれからも、プロレスファンであり続けます。

お疲れ様でした。そして本当に、ありがとうございました。

R.I.P.